ヨーロッパ最大級とうたわれているWestfieldというモールがバスで10分位のところにあるので、
たまーに行きます。
PradaやVuittonなどのハイブランド店からHollisterやZaraなどのファスト系まで色々入っていて非常に便利なのですが、
いつ行ってもものすごく人が多く、
なんとなく積極的にあそこに行こう、という感じになりません。
雑多な感じがちょっと疲れてしまうんだと思います。
すごく広いのに人でいっぱい。
通路の真ん中で歯のホワイトニングだってやっちゃいます。
上の階からは大口開けている姿が丸見えです。
フェイシャルだってあります。
通路に脚も出ちゃってて開放的です。
Sloane Square周辺
以前、英国人の先生がイギリスはアメリカとは異なり富のみではクラスが決定されず、出自、家系などによって出身地域、学校、話し方などが異なるため、経済的に成功しても必ずしも乗り越えられない壁がある、と言っていました。
色々な場所で買い物をしていると、これ、実感として感じられます。
英国でも、元々それほど高くないクラスに生まれた人が努力により社会で成功して、富を得ることは当然可能なんだと思いますが、富を得たからといって、
米国の成功者のように歴史的に高級住宅地とされている地域へ移り住んだり、
ポッシュ(上流階級)な人々が買い物をする場所で買い物をするようにはならないよう見受けられます(スポーツ選手などの著名人の場合は話は異なると思いますが)。
(ちなみに我々は、外国人の抗弁を振りかざし、ざっくざっくとポッシュな人々の生活圏に乗り込んでいますが、今のところ大体どこに行っても表面的には暖かく受け入れられており無問題です。むしろ、歩いているだけで差別的な言葉を投げかけて来たりするのは大抵明らかにクラスが低いと目されていそうな人たちで、世界中どこに行ったって、弱いもの達は夕暮れさらに弱いものを叩くもののようです。)
このような厳然たる格差社会の中にいると、
格差社会と言われて久しい日本の格差などは、基本的に経済的不均衡によるもののうえ、戦後の平等教育がしっかり刷り込まれているのでさほど根の深い論点ではないのではないかと思えてきます。
出自の違いは、依然、乗り越えようとすれば努力で大概は乗り越えられるレベルに留まっていると言えると思いますし、
突出した才能で富を形成すれば成金呼ばわりのうえ、うっかり開き直れば重箱の隅をつつくような容疑で起訴される憂き目に合いかねないなど、
富める者は低頭平身に振る舞い自己犠牲(税金)を払うことを強いられる土壌があるように思います。
そのように考えると、
日本は、資本主義を維持しつつ平和裡に社会主義のゴールを実現してしまうポテンシャルを持っているのかもしれません。
たまに真面目な話を書いたら片腹が痛くなってきました。