2010/12/31

Côte d'Azur 3

さすがに運も使い果たしたらしく、

3日目は雨。ちょっとホッとしました。

もっとも、3日目は私がこの旅行が決まったときからずーーっとずーーっと楽しみにしていた

タラソテラピーなので天候はあまり関係ありません。

Les Thermes Marins de Monte-Carlo

タラソテラピーではヨーロッパ最高峰と言われているそうです

タラサ志摩(伊勢志摩にあるタラソテラピーのスパ。とても有名。)もまだ未経験なのに

すいません、ほほ。

といいながら頑なにスパを拒むJ君を残し、いそいそと向かいました。

ええ確かに

施設は素晴らしかったです。個室の広い窓からは見渡す限りの地中海。

でも、

雑。

身体へのバスタオルのかけ方とか、部屋の温度とか、マッサージの仕方とか、施術の流れとか、

要所要所で雑。日本のスパ、特にブライダルエステでお嫁様として奉られた記憶が新しい私としては、

この金額でこれはちょっとありえない。素人なの?

といった感じでした。

そういえばバリのリッツもスパが有名ですがひどかったです。

力まかせのマッサージ、突然中断のうえ無言でいなくなる担当者、半裸で放置される私。冷えきったところで寒空のぬるま湯フラワーバス。花弁と一緒に虫の死骸が浮かんでる。

修行かと思いました。

有名なところは慢心しちゃっててダメなのかもしれませんね。

午後は海洋博物館へ。なかなか素敵な水族館を観た後、

屋上にあるレストランで、遅めのランチにスズキを食べました。意外に美味しかったです。

 生け簀?

その後、デザートにショコラティエでホットチョコレートを飲みお買い物へ。

価格は多分パリと同じくらい。価格と品揃えでいえば一番よかったのは多分ヒースロー空港免税店。あのアップル製品も安かったという衝撃の事実。

 雨のモナコ市街

夜は久しぶりの日本食をロブションが初プロデュースしたとの和食レストランYoshiで。「zeitaku wakame」という謎の前菜が£47で興味しんしんだったも、海老しんじょうにしました。

その後グランカジノとは別の庶民派カジノへ。

うってかわって場末感たっぷりのぬるい空気が流れていました。東京でカジノ作ったら最終的にはきっとこんな感じになるんだろうな。

2010/12/30

Côte d'Azur 2

強運はその後も続き、

強雨予想だったのが前日に突然快晴予想に変わり素晴らしいお天気に恵まれました。

日差しだけなら初夏のようです。

私は初地中海ですが、深緑の海の色が素晴らしいです。

潜ってみたいなー。


ホテルの窓から







ニースからモナコへ。途中、エズ村に立ち寄りました。

中世、異教徒のサラセン人などからの攻撃を防御するため、山の頂に石の壁を囲んで作った村だそうです。

確かに建物と建物が非常に近接しており密集感がすごい。こういう街の作りは初めて見たので新鮮です。

宮崎駿っぽい。




エズ村から車で走ること15分(ニースからエズ村も15分)、モナコに到着。

F1の開催地とのことですが、

F1に関する私の知識といえば、

中学の同級生がアイルトンセナの大ファンで、彼が死んだときは1年喪に服して体育の授業に出なかったとか、

その後、子供にセナと名付けた とか、

全くF1に関する知識ではありません。

そんな感じなので、

私としてはモナコ湾やヘアピンカーブには特に思い入れはないのですが、

運転手はJ君なのでまずはそこからスタートです。



その後、ちょっとした人種差別なのかと思われるほど塩辛いオニオンスープを出すcafe de parisで食事をし、モナコ散策。

山と海に囲まれとても美しい街ですが、どう考えても急斜面に建物が濫立しすぎで、しかも一見して老朽化著しい建物も多く、自然災害に耐えうるんだろうかと余計な心配をしてしまいます。

夜は縁あるJoël Robuchonでディナーの後、カジノ。

シャルル・ガルニエ作のグランカジノです。

社交場として栄えたという歴史からだと思いますがべガスやマカオやソウルのカジノとは全く異なる感じです。

個人的には、べガスはエンターテイメント、マカオは賭場、ソウルはちょっと作ってみた、という印象のカジノですが、

グランカジノはイブニングドレスやタキシードに身を包んだ人々がカジノに興じながら談笑するといった風情です。

もっとも、浅田次郎の本によると、ハイシーズンにはべガスやマカオ並にハイローラーが集まりあぶく銭が湯水のごとく使われるとのこと。見てみたーい。

我々は自らの労働の対価によって生計を立てている労働者なので、

ちょっとだけ賭けて少し増やしたところで

さっさと退散。


グランカジノ

ホテルはHotel Metropole Monte-Carlo。ルームサービスを含めたホテル内の全ての食事をロブションが監修しているとのことで、朝食が待ちきれない感じでした。

ホテル正面

2010/12/27

sale

旅日記の途中ですが、

ロンドンは昨日からセールが始まり

熱に浮かされています。

人ごみが苦手なので日本ではセールと無縁の生活を送っていたも

こちらのセールは何もかもがセールにかかる、と聞いていたので

この日を待ちに待っていました。

昨日はselfridge、今日はアウトレットに行き

セール満喫中です。

今のところ一番のお買い得はDiorのスカート(£560→£108)ですが、

一番の変わり種は"Super Dry極度乾燥(しなさい)"のジャケット£30(元値不明)。


このメーカー、英国メーカーらしいのですが、なぜかひらがなや日本の地名をデザインに使い(ポロシャツの胸に"OSAKA"とか)若者の間でとても流行っています。

一説によると日本製は縫製がよいというイメージに便乗したそうです。



ジッパー

内側のタグ

内側のタグになにやら日本語らしき言語で書いてあります。

「公式の二重黒いラベルの衣服。

補強された機械化の技術を使用してそして

独特な合わせた設計特徴と作られる。

長寿および強さのため。

極度の乾燥した仕事の摩耗の会社の著作権をとりなさい。」

著作権を。。なぜにて。。。

半ばネタで雨具にするつもりで購入したのですが、

J君のガジェット心を突き刺したようで

PRADAのブーツやその他の大物をさしおいて

今日一番いい買い物!

との認定でした。

2010/12/26

Côte d'Azur 1

色々迷った末、

この冬は極寒のロンドンを脱出せんと

南仏はニース−モナコの旅となりました。

しかし、出発直前にロンドンは歴史的大雪。


この前代未聞の事態(といってもたかだか5センチ位の積雪)に航空会社は対応しきれないとのことで(雪かきの設備がまるでなく、職員がワイパーで雪を掻いていたそうです。どうかしてる。)。

次々にフライトがキャンセルされ、ヒースローでは飛べなかった人たちが一夜を過ごしたとのニュースが。。

これは飛ばないかもね、

と言いながら一応まだキャンセルが出てなかったのでヒースローへ向かったところ、

600便超がキャンセルの中、我々の便を含めた7便だけが何故か飛ぶことに。



なんで、この便だけ飛べるの?要人とか乗ってるのかな?

という私の疑問についてJ君の見解は、

フランス人は文句が多いからとりあえず飛ばしとけ、ってことなんじゃない

とのこと。そうですか。

2時間のフライト後ニースに到着。早速、車を借りたのですが、マニュアル左ハンドルなので有無を言わさずJ君の運転です。

港でニース風サラダやブイヤベースなどを食べていたら

ブイヤベースの準備中。
目が覚めるくらい塩辛かった。

またもや日が暮れてしまいました。

最近、食事に時間をかけ過ぎかもしれません。

ホテルにチェックイン後、市街を散歩。クリスマスライティングが美しかったです。

ちなみにホテルはLe Palais de la Mediterranee

部屋の空きがあったということでアップグレードされて最上階海正面のセミスイートに。viewの素晴らしいお部屋でしたが、ここまでくるとラッキーというより、少し怖い。。

揺り返しが怖いから慎重に行動しよう

などと言い合う意外に塞翁が馬な二人なのでした。司法試験で苦労したからかな。。

Côte d'Azur 2に続く。





今年3回目の観覧車

観覧車からの市街地

ニースで多分一番有名なホテルネグレスコ。
外観もアレな感じですが内装の違和感が強烈。

ネグレスコのロビー。
写真だと一見素敵に見えるから不思議。。。

2010/12/23

wicked

ちょっと前の話ですが、

ミュージカル"wicked"

観てきました。

オズの魔法使いの裏話だそうで、オズの魔法使い自体

「女の子が旅をしていたら、かかしとライオンと何かに出会って、メデタシ。」

位の記憶しかなかったので

J君に聞いてみたところ

「靴のかかとを鳴らすんだよ。」

とのことで、Google先生に聞くことにしました。

童話の内容の記憶は曖昧ですね。

昔、皆で飲んでいたときに、「赤ずきんちゃん」の詳細を一人ずつ話していって間違えた人が飲む、というゲームをしたのですが、

一番手だった帰国子女の男の子が

「お母さんから預かったパイを森に持って行ったら途中で熊に出会って、逃げろって言われたから逃げたら追いかけてきて、捕まって、なんだっけ?」

「うん、それは森のクマさんだね。」

ちなみに、彼は、お正月に、

「お雑煮を作るんだ」

と言ってお汁粉を作るなど、いつもいい帰国出してました。

ミュージカルはとっても面白かったです。ちびっこ向け。

2010/12/17

paris 3

3日目

みたびシャンゼリゼをてくてく歩き、

クリスマスマーケットでチョコレートとホットアップルサイダーを飲みつつ(すごく寒かった)

コンコルド広場。



ランチは人気のle comptoirで食べるべく

12時前には向かい

無事、店内へ。

アントレの豚のテリーヌから結構な量があったのですが、 

メインに次いでデザートまでペロリ。

気付いたら3時でした。

ちなみにお味ですが、

和食派薄味、飲み物といえば水、お豆腐大好き

の私としては、美味しいけど濃く重くあと1年はもういいという感じですが、

肉食味付け重視、飲み物といえばレッドブル、チーズ大好き

のJ君はソースや私の頼んだ"Pied Porc Braise, Desosse et Roti(蒸し煮した豚足のロースト)"に何が入っているかを分析のうえ感嘆していました。

その後、コンコルドへ戻り観覧車へ。

笑えるほど回るのが早く(でも4周乗れる。)

必ずしもゆっくりできるわけではないのですが、

お天気に恵まれていたので、素晴らしい景色でした。



観覧車から見たシャンゼリゼ

観覧車から見たチュイルリー公園

充実の3日間でした。

パリ、すごくよかったです。

でも帰宅途中、

見慣れたロンドンの地下鉄にホッとし

パリもいいけど、住むのはロンドンだね

と、すっかり我が家はロンドン派なのでした。

ジャパンはどうした、

という感じですが。

2010/12/15

paris 2

2日目。

「今日はどうしようか?」

と言いながら地図を見たところノートルダム寺院が載っていたのでとりあえずノートルダム寺院へ。



荘厳な寺院を見ていると結婚式をした東京カテドラルを思い出し、そういえばセリーヌディオンがここで結婚したことを思い出しました。

一般人も式が出来るようですが、今調べたところ5年待ちだそうで、

5年先のプロポーズか、

はたまた、相手には内緒の取り急ぎ予約か、

最終的には、当初の相手とは違う相手と挙式か、

と、何にしても一波乱ありそうで、予約をする人に興味しんしんです(ゴシップ好き。よくない。)。

その後、地図を見ていたらルーブルまで歩けそう、

ということで、セーヌ川沿いをてくてく歩いて

ルーブル美術館(我々の旅行は終始こんな感じです)。

モナリザ


を見る人たち。

その後、ガレットを食べに

モンパルナス。

評判のよいガレット屋さんが残念ながら日曜定休だったので、とりあえず今回は別のところへ行き、これもまた次回の課題に。

更にモンパルナスにある地図を見ていたら北の方にも寺院がある様子。

これはモンマルトルの丘では?ということで、

モンマルトルの丘へ。サクレ・クール寺院。

丘をのぼったところにあるサクレ・クール寺院

モンマルトルの丘は、その昔、兄と「パリっぽいパリっぽい」と言いながら写真を撮ったので鮮明に覚えていたのですが、

パリっぽい階段
なんと

丘を登るエレベーターが出来てました。

パリっぽくないエレベーター

と、ここまで来たところで、すっかり日も暮れたのでシャンゼリゼまで地下鉄で帰り、再びシャンゼリゼ散歩。

Ladureeのタルトタタンが忘れられず再度Laduree。

少し並ばなければならなかったのですが、すぐ後ろにも日本人カップルが並んでおり、

女性の方が近時珍しい舌足らず口調で

「最近話してないから英語も日本語も忘れちゃった」

などとオーディエンス(我々)を過剰に意識しつつ声高に話していました。

これがあまりにもだらだらと続くので辟易していたら

彼女が店員と話しているのを聞いたJ君が

「フランス語も大してしゃべれてねーから心配すんな」

と突っ込み 

Bravo, honey, b-ra-vo!!

と心でスタンディングオベーションを送ったも

大人なのでなだめるふり。

その後、タタンがやっぱり絶品だったのでご機嫌で店を出てシャンゼリゼをねり歩き

ご機嫌ついでに凱旋門を登ることに。

長い螺旋階段はなかなか大変ですが、屋上につくとパリの夜景が広がります。

素晴らしい!凱旋門登った方がいいよ!



と、誰に勧めてるのか不明なほどテンションが上がりまくっていたところ

「ここ絶対絶対連れてこようと決めてたんだ。荷物は重いけど絶対見るべきって。」

英語も日本語も忘れてしまった女の子が再登場。確かに日本語不自由そう。

J君はと様子を見ると、

「×××××××!」(書けない。ひどい。)

うんうん、気持ちは分かるよ。でも、

絶対聞こえてるよ。

あ、聞こえるように言ってるんですか、

そうですか。

paris 3へつづく。。

2010/12/14

paris 1

この週末ようやく、

パリへ行ってきました。

ようやく、

というのは、ロンドンからパリまでユーロスターで2時間片道34ポンド(4000円くらい)なので、

ロンドンへ来ている留学生は大体夏の間にパリ済みなのです。

パリは2回目ですが

前回は、はるか昔まだNYへいた頃のことなので

気持ちも新たにとりあえずは観光。

シャンゼリゼ近くのプチホテルにチェックインして

まずはシャンゼリゼ散策。

最近はすっかりお隣の国の人々の御用達となった感のあるLVの本店などを横目に、Ladureeで遅めのランチ。


私の頼んだイベリコ豚。
こっそり撮れる場所だったのでJ君に頼んで撮ってもらいました。
今回ご飯の写真はこれだけ。

まぁ、所詮お菓子屋さんだから・・・、と全く期待していませんでしたが、想像以上に美味しくて驚き。J君が

資生堂パーラーで寿司食ったら意外に美味くて、じゃあ寿司屋行ったらどんだけだよ、って話と一緒?

と言い得て妙なことを言っていました。

アントレからデザート(デセール?)までしっかり食べて盛り上がっていたら予想外のbig lunchとなってしまい日が暮れてしまいました。。

日の暮れたシャンゼリゼ。
突き当たりが凱旋門。


日も暮れたしとりあえずお買い物でも(?)ということでAve. Montaigne。ロンドンでいうBond Street、ミラノでいうMontenapoleoneでしょうか。

意外にもアジア人はあまりおらず、結構閑散とした感じでした。

プラダの店員さんが、

"Bonsoir, madame"

と言ったのが

"What's up, madame"

に聞こえ、アバクロ?と思ったのは内緒。



モンターニュ通りを歩ききったところで、遠くの方に古ぼけた塔が見えます。J君と

「あれはまさか。。」

「いやいやいやいや。」

「通天閣?」

「いやいやいやいや。」

などとやりとりをしていたらやはりエッフェル塔でした。

近くで見ると結構大きい。

下から。

塔を目指しててくてく歩き到着。

一瞬、階段で上る?という案も出たのですが(リフトは長蛇の列だったため)、ホテルを出てからここまで歩き通しだったため、またいつかということになりました。

その後、地下鉄に乗って、オペラ座。ラファイエットへ。


ラファイエットは前回も来ましたが、二十年近く経って何一つ変わっていない印象です。カウンターに立ってる人でさえ同じ人なんじゃないかと思います。

観光客がいなければ松菱(浜松)よりも先に倒産しただろうと思われるほど、営業努力が感じられません。デパート好きな私としては今回パリで一番がっかりした場所でした。

その後地下鉄で帰路へとついたのですが、地下鉄といえば、ちょっとびっくりする位汚かったです。異臭がひどすぎる。


手動のドア。まだ電車が動いてるのに開いちゃう。

そりゃうさぎも指を挟まれます。

paris 2へつづく。。

2010/12/09

demonstration

今日は学費据え置きのデモがありました。

外国人学生(イギリス人でない)もたくさん参加している様子で、

嫌なら国へ帰れ

という話にはならないんだろうかと不思議に思いましたが

結局ただの学生のお祭りなので

比較的暖かい目で見守られているようです。

(と、これを書いた昼くらいには思っていたのですが、その後、学生が暴徒化して英皇太子夫婦や果てはTop Shopまで襲われるなど、大変な騒ぎになってしまいました)

そういえば私の行っていた大学は

90年代後半にもなって、なお、政治的なデモやハンガーストライクなどが頻繁に行われる

なかなかレアな大学でした(盆地だからかな・・・)。

特に昔からある学生寮に住んでいた人たちは半強制的にデモに参加させられたり、

夜中に

「3点セット(マスク、ヘルメット、ゲバ棒)を持って玄関に参集されたし」

というアナウンスで起こされたりしており

(歴史的に学生運動のさかんな寮なので、バイト先に提出した履歴書の名前が偽名だったから私文書偽造とかそういうくだらない話で普通に公安がくる。そしてなぜか立ち向かう。)、

なかなか興味深い学生生活をおくっていました。

かくいう私も

御所近くでデモ中の友達に呼び止められ、立ち話をしていたら公安との小競り合いに巻き込まれ(公安に)写真を撮られたり、

フェミニズムの勉強をしようと女性問題研究会の門を叩いたら「そのピアスが何なのか考えたことがあるか」と問われ「え?アメジストだと思いますけど・・・」と答え呆れられたり、

任官拒否をされた人の講演会に行ったら一緒に「インターナショナル」を歌わされたり(日本語版)、

近代思想の研究会と聞き会合に立ち寄ったらただの新興宗教で、以降行かなくなったら「心配しています。」との電報が来たり、

ワナというワナに引っかかりまくっている感じですが、

結構楽しかったです。

2010/12/08

end of MT

今週で今年の授業は終わりです。

つまり、

LLMの授業の半分が終わってしまった

ということになります。

10月に始まったことを考えると

ちょっと尋常ではない短さだと思いますが

21歳くらいだとそれなりの長さに感じるのでしょうか(イギリスの大学は3年制なので、大学卒業後すぐにマスターに入る人はまだ21歳。1989年生まれ。ついこの前。)?

私なんて瞬く間でした。

コース選ぶの大変大変(week 1+2)

ようやく授業が始まったよー(week 3)

ゼミもね(week4)

図書館で座る場所が決まりました☆(week 5)

え、もう8週目??(week 8)

え、もう終わり?? ←今ここ

光陰矢の如し。

苛政は虎よりも猛し(関係ない)。

体感的には、

法律事務所に研修に行っていた2週間の方がよほど長く感じられたので、

若さの問題というより、緊張感の問題かもしれません。

授業中でも

気付けば鼻歌まじり。

2010/12/03

nail

ロンドンはこの火曜日に初雪でした。

以降、降ったり止んだりの繰り返しで、

Gatwickという国内線の飛行場は閉鎖され、ユーロスターもずいぶん本数が減っています。

今日は朝から、外は暗く、足下は溶けかけの雪と泥でぬかるみ、雪が横殴りに降ったり止んだりしていました。

こんな日は、お家でホットチョコレートでも飲みながら

フレンズでも見てゴロゴロしたいところです。

しかし、

そんな甘えたことを言っていては

大金を出資してくれている事務所に対し立つ瀬がありません。

なので、横殴りの吹雪の中、足下の泥をもものともせず

行ってきました。


ネイル


・・・ほら、人差し指の爪がね、ちょっと折れたの。。


こちらにもネイルサロンはもちろんありますが、

日本人のお友達から

ジェルをペンチで剥がされた

という話を聞き、

絶対に日本人ネイリストと心に決めました。

なので、今は日本人経営のネイルサロンに行っています。

日本とは違い

そもそもネイルをしている人が少ないうえ、

長い爪は不衛生だと思っているふしがあるので(まあ、日本でもそうかもしれませんが)

日本では考えられなかった位短くしたうえ

フレンチ。

新聞の塗料や食器用洗剤が強すぎて(ええ、やってますよ、家事)、

1ヶ月もすると

フレンチ部分の白色が灰色に。

ひょっとすると、

こちらで購入した手袋のせいかもしれませんが。