2011/03/31

End of LT

色々なことが起こる中、

後期もひっそり終わってしまいました。

これで、私がLLMにて学ぶべきことは全て発信済みということになります。

おそろしい。。。

私の行っている大学では6月に実施される試験と8月末日締切の論文で成績が100%評価されるため、

むしろこれからが本番

といっても過言ではないのですが、

週を追うごとにたまっていく膨大なリーディングや慣れないプレゼン、セミナー中の執拗な

"Miki, any idea?"

から解放されたことは

花火でも打ち上げてシャンパンで乾杯したいくらいです。

試験勉強も大変ですが、

一人図書館で鬱々と勉強する方がまだ得意分野(のはず)。

ところで、話は全然違いますが

Financial Timesの震災についてのコラム中に、昭和天皇による終戦の詔勅の

堪ヘ難キヲ堪ヘ

という例の有名な一部が引用されていました。

('endure the unendurable' -"The Japanese miracle is not over" by David Pilling/FT March 16, 2011)

震災の惨状を戦後の惨状と重ね合わせるかの文脈での引用なのですが、

果たして詔勅の意味を理解しているのか疑問に思わざるを得ず、

親日的なコラムではあるものの(内容は無いに等しいですが)

安易に玉音放送を引用するというその無神経さとピント外れな浅はかさに

軽い憤りを覚え

自分の中の意外なナショナリズムに驚いた次第です。

石原(都知事)の気持ちも分かる

と言い出す日もそう遠くはないかもしれません(遠い)。

2011/03/18

3.11

今はとにかく

報道から目が離せず打ちのめされる毎日で、

とてもではないけれど勉強に専念できない、

といいうのが周囲の多くの日本人留学生の現状のようです。

涙しながらBBCのインタビューに答えている留学生も。

そんな中、香山リカ氏が書いていたことが印象深かったので備忘のためにも引用。

「被災地に思いを寄せることはとても大切ですが、救援者が「共感疲労」と呼ばれる疲弊状態に陥りやすいことが知られています。これはテレビやネットを介しても起きる可能性があります。「共感疲労」は、それに陥っている人が自覚を持てない、という特徴もあります。「疲れたなんて言ってられない」「私にできることはもっとあるはず」と思ってしまうのです。気づいたときには燃えつき状態になり、回復に長い時間を要することも。いざ私たちの力が必要とされるときに起き上がれない、なんてことにならないよう、いまはいつもより自分を休ませて。まずはあたたかいものを飲み食いし、お風呂に入り、やわらかい布団に身を横たえる、といったことではないでしょうか。」

「電車運休で病院に到着できない医師もいて、今週は外来にけっこう出てます。震災以来テレビに釘付けで、無気力、涙ポロポロ、船酔い感、頭痛に動悸という方、多数。」(香山リカ精神科医師3月14日、15日付Twitter)

皆様と皆様のご家族、ご友人の安全と健康を切に祈っています。

2011/03/08

trial ver.

こちらに来る前に猛暑の日本でみっちりハマっていた

例のゲーム

新作の体験版が出たよと、J君がダウンロードしてくれました。

理解ある夫で幸せです。

今回は衝撃の893vsゾンビ。

ついに来るところまで来た、

という感じです。

ゾンビゲームといえばバイオハザードですが、遡ること十数年前、

銀閣寺ふもとの友人宅で初めてバイハザをやって以来、

ゾンビゲームは無理

というのが私の結論です。

その日は皆で鍋をやる予定でしたが、私だけバイハザで遊ぶために先に到着。家主は買い出しに出かけたのでした(一緒に行け、とのご意見もっともです。)。

ゲームを始めるや、外人が森で迷った末一件の屋敷にたどり着くという映像が流れます。

「森で迷った末にたどり着く洋館」

鉄板です。

屋敷に入ったところからゲームは始まるのですが、もうなんていうか

最初から異常に

怖い。

友人宅は当時で築50年の木造建築、窓の隙間からは冷たい空気が流れ込み、静まり帰った部屋の中でゲーム内のキャラクターの足音だけが響きます。

ビクビクと(ゲーム内の)廊下を歩いていると、

突然、

犬が廊下の窓を破って飛び込んできたうえ、

私(キャラクター)に向かって飛びかかってきました。

しかもまさかのデュアルショック(攻撃を受ける際コントローラーが激しく震える)。

あまりのショックと怖さに

3歳は老けたと思います。

次々と窓を破り襲いかかってくる犬に為す術もなくゲームオーバーを迎えた後、

二度とバイハザをやることはありませんでした。

なので、

例のゲームの最新版も見送ろうかなー、と思っていたのです

が、

やってみると意外に面白かったです。

二丁拳銃が爽快。

ちなみに、銀閣寺ふもとのあのトラウマの木造建造物はまだあるんだろうか

とgoogle先生に聞いてみたら

あった!!安っ!

友人が電話でピザを頼もうとして「銀山ハウス○号室です」と言ったら、

え?欽ちゃんハウス?

と何度も聞き返されていたのが懐かしく思い出されます。

2011/03/07

mall

今週末は、モール。

ヨーロッパ最大級とうたわれているWestfieldというモールがバスで10分位のところにあるので、

たまーに行きます。

PradaやVuittonなどのハイブランド店からHollisterやZaraなどのファスト系まで色々入っていて非常に便利なのですが、

いつ行ってもものすごく人が多く、

なんとなく積極的にあそこに行こう、という感じになりません。

雑多な感じがちょっと疲れてしまうんだと思います。

 すごく広いのに人でいっぱい。
 通路の真ん中で歯のホワイトニングだってやっちゃいます。
上の階からは大口開けている姿が丸見えです。
 フェイシャルだってあります。 
通路に脚も出ちゃってて開放的です。

同じくらいの距離内での買い物ならSloane Squareの方が好みです。落ち着いていて、いる人種もスノッブな感じで鑑賞しがいがあります。

Sloane Square周辺

以前、英国人の先生がイギリスはアメリカとは異なり富のみではクラスが決定されず、出自、家系などによって出身地域、学校、話し方などが異なるため、経済的に成功しても必ずしも乗り越えられない壁がある、と言っていました。

色々な場所で買い物をしていると、これ、実感として感じられます。

英国でも、元々それほど高くないクラスに生まれた人が努力により社会で成功して、富を得ることは当然可能なんだと思いますが、富を得たからといって、

米国の成功者のように歴史的に高級住宅地とされている地域へ移り住んだり、

ポッシュ(上流階級)な人々が買い物をする場所で買い物をするようにはならないよう見受けられます(スポーツ選手などの著名人の場合は話は異なると思いますが)。

(ちなみに我々は、外国人の抗弁を振りかざし、ざっくざっくとポッシュな人々の生活圏に乗り込んでいますが、今のところ大体どこに行っても表面的には暖かく受け入れられており無問題です。むしろ、歩いているだけで差別的な言葉を投げかけて来たりするのは大抵明らかにクラスが低いと目されていそうな人たちで、世界中どこに行ったって、弱いもの達は夕暮れさらに弱いものを叩くもののようです。)

このような厳然たる格差社会の中にいると、

格差社会と言われて久しい日本の格差などは、基本的に経済的不均衡によるもののうえ、戦後の平等教育がしっかり刷り込まれているのでさほど根の深い論点ではないのではないかと思えてきます。

出自の違いは、依然、乗り越えようとすれば努力で大概は乗り越えられるレベルに留まっていると言えると思いますし、

突出した才能で富を形成すれば成金呼ばわりのうえ、うっかり開き直れば重箱の隅をつつくような容疑で起訴される憂き目に合いかねないなど、

富める者は低頭平身に振る舞い自己犠牲(税金)を払うことを強いられる土壌があるように思います。

そのように考えると、

日本は、資本主義を維持しつつ平和裡に社会主義のゴールを実現してしまうポテンシャルを持っているのかもしれません。

たまに真面目な話を書いたら片腹が痛くなってきました。

2011/03/03

iPad&Hiroshima

iPadの説明するけぇ、よう聞きんさい。」





「あんた中国新聞みるじゃろ」


秀逸。秀逸すぎる。


訳も完璧。